4精神障害を受止め凌ぐ

精神障害者を過剰に特別扱いすることこそ差別で偏見であると思っています。外人さんを特別扱いするのとは違います同じ日本人です。確かに危険な精神障害者はいます、しかし、精神障害者ではない普通の人の中にも危険な人は沢山います。刑務所の中の刑事事件受刑者を精神障害の有無で区分したら多分国全体の精神障害患者割合よりも受刑者中の精神障害者の割合は低いと予想しています。古くはライシャワー事件近くは川崎登戸児童殺傷事件のように精神障害者(と思われる者を含む)が事件の加害者になっている例は多いが それ以上にイジメられたり引きこもったりしている精神障害者の割合は健常者の其れより多いと思われます。 また精神障害者ではない健常者による殺傷事件をみると母数の比率以上に健常者による事件割合が多いようだ。精神障碍者が健常者より危険であるという統計的データはないと言われているにも関わらず 精神障害者は危険と思われ特別視されニュースでも特別協調されることが多いと感ずる、 ちなみに職場や学校などでイジメを受けた事が誘因となり統合失調症発症していると想定される精神障害当事者は非常に多い、イジメた側の人間は其の儘あるいは 卒業後 健常者として社会で大手を振っている。近くの人に精神障害が有っても無くても特別扱いせず普通に対応し それで上手く行かなかったなら そこで初めて特別の対応をする、つまり健常者でも場合に応じて特別の対応をせざるを得ない人は少なくない、たとえば偏見が強い人、思いあがっている人、任侠に入れ込んでいる人、極極めて困窮している人、などなど、、もし相手に懸念を感じたら避けるか又は然るべき行政に繋ぐだけのことであり 相手の精神障害有無だけでは何等為すべき行動を判断できないはずである。、兎に角 先入観を持たずに普通に付き合い、懸念や問題が生じたときには速やかに場合の対応あるのみと思っています。

 

 精神障害(障碍)とくに統合失調症は有力なドーパミン仮説など有り服薬などで問題症状軽減が相当出来てはいるが百年来なお治療研究途上の難病である。 当事者は厄介者扱いされていますが 人類という種の進化にとって重要な精神的多様性あるいは心の多様性の一つを成す貴重な個人とも言えると思います、多様性の増加に貢献する其の意味で精神障害者が子孫を残すことは人類に貢献することだと考えます従って精神障害者の婚姻に賛成です、良くも悪くも多様性が豊富な種が生き残り進化できるという学者に私は賛同しています、人類にとって厄介者のウィルスは人類の遺伝子の変容に大きく影響して突然変異などを通じ人類進化に大きく関わっているようです。顔かたちが個人で異なり頭脳や肉体の多様性が人類という種の生き残り進化にとって重要であることの一環となる何でもよいから突然変異の中に滅びも進化も有り説です。さて進化云々は横に置いといて 困難をもたらす精神的個性を持つ精神障害当事者と其の家族は 疾病としては機構根拠解明不十分である精神障害という困難に向き合い続け 兎にも角にも只今を一歩一歩確実に暮らし生きています。似たような なかま が居ると思えると心強く困難を凌ぐ力が増すような気がします。。 

 精神障害Mental Disorderは 精神疾患Mental Diseaseやこころの病気Mental Illnessや精神病状態Psychosisなどと括られる精神病の上位語であり発達障害のような精神状態の偏りや行動の異常を含み、社会的職業的また他の重要な活動における著しい苦痛や著しい機能の低下をもたらしていることが必要条件であり ある程度以上重症で持続的な症状の経過があり且つ予測不可能な反応があることも必要条件であり ときには社会的文化的に許容できない逸脱行為が見られる場合もある 精神の変調のことである と概ね定義できる、留意したいのは 精神障害は その原因究明が困難であり 精神の病とは断定できない場合が有り 其の精神障害によって周囲も当事者も生活のしずらさが著しく通常では許容できないレベルに至っているという概念の用語であるということである。。ただし2018年4月現在 統一された定義は確立していない。参考 科学技術振興機構2014年JSTシソーラスmap精神障害、南山堂医学大辞典2006年第19版、米国精神医学会の精神障害の診断と統計マニュアル2014年DSM-5、 WHO 国際生活機能分類2001年ICIDH改訂版。

 どしろうと考えだが 専門家の方々には 脳ばかり研究していても現在まで埒が明かないので 細胞間メッセ-ジ特に内臓・大腸メッセージとの絡みも研究して頂きたいとお願い申し上げます。

行政においては 定性的客観的定義に代えて 精神障害の個別の症候群を例示して法律上の説明をしている。保健医療施策においては 精神保健福祉法で対象とする精神障害者Mentally Disorderedについて 統合失調症、精神作用物質による急性中毒またはその依存症、知的障害、精神病質そのほかの精神疾患を有する者<第5条>ですと定めている。これに基づいて交付される知的障害者を除く精神障害者保健福祉手帳の交付対象者は 統合失調症、急性中毒またはその依存症、気分障害<うつ 双極性障害>、てんかん、高次脳機能障害、発達障害、そのほかの精神疾患である。ただ例外的に知的障害認知症適応障害関係障害などであっても医師の診断内容次第で一部認められる場合もあると思われる。非定型精神病や脳疾患性症状性精神病などはそのほかの精神疾患に含まれると思われる なお2007年三訂精神保健福祉法詳解は 精神保健福祉法上の精神障害者Mentally Disordered を障害者基本法上の精神障害者Mentally Disabled の上位概念と説明している。前者は保健医療施策における概念であり、後者は福祉施策における概念である。2011年障害者基本法では 精神障害者Mentally Disabled について性別違和<性同一性障害>も精神障害に含めるなど定義の拡大をし 且つ 合理的配慮概念を導入した。ここでヒヤク異見だが 身体障害などへの合理的配慮概念は分り易くバリアフリーという掛け声で実施されているが 精神障害者で 引きこもり も 何らかの 精神的バリアありと想像し そのバリアに配慮した施策の公的研究を推進して頂けないかと思う。

 精神障害Mental Disorder は精神病を含む精神の変調のことであり 精神病を含むが精神病ではない精神の変調も含む ほぼ全てが症候群と呼ぶべき分類であって 分類や原因解明は道半ばであり 治療法も確立しているとは言い難いものばかりと思われる。治療効果の検証も容易ではなく ある程度有効性が得られ定着している治療法である薬物療法や作業療法などでも 治療の甲斐無く 無効側となる患者の割合は少なくないようです。治療の効果ほぼ無く当事者が無効側患者となってしまった場合には 当事者も家族も担当の先生も困る。 しかし 各治療法毎に 上手く有効側患者となった割合が高いのか低いのか 集積層別分析データ収集は不十分と見られ 産学官連携で治療効果のビッグデータ収集分析評価を進め 其のことも より良い治療法の開発の一助となるかもしれない などという情報これあり 大いに期待し よろしくお願い申し上げます。参考 厚生労働省 みんなのメンタルヘルス ウェブサイト 2017年5月gooニュース 東大が統合失調症の神経異常発見・治療法確立の糸口に 2017年7月 日本学術会議 脳とこころ分科会 精神・神経疾患の治療法開発のための産学官連携のあり方に関する提言

 それでも 兎に角 それでも 精神障害当事者とその家族は 問題と向き合い 苦痛困難を凌ぎ ほそ~くツナガルなかま を知り 無理なく現実の生活の質QOLを充実できるとイイナ

 ドナルノ怒鳴るの とんでけ~  どなるの どなるの 飛んでけ~~ 、、、、、、二階から怒鳴り声が聞こえ始めると 私は一階で呟く つぶやく zzz zzz zzzzz 我が家の当事者の健康な精神状態が反転して興奮した異常な失調した精神状態になってしまっている。休憩中断を挿みながら同じような言葉を繰り返し何時間も怒鳴ると 流石に 脳内の神経伝達物質過剰??も調整??されて 落ち着いた健康な精神状態に戻る、普通に戻る、ドナルノ飛んでった、、、よかった よかった (脳内の神経伝達物質どうのこうのというドーパミン仮説が正しいと鵜呑みにはしていませんが)

 精神障害の分類を説明文通りに典型的に受け取って杓子定規に対応するのは問題を拗らせる虞ありと思うようになりました。先ず分類には異論も多いが医学会や行政の都合もあって兎に角一応決めつけた面も有りそうです。また発達障害を内在している方が其れに統合失調症を被って当事者となっている場合も少なくないという話も聞こえてきます。思い返すと 我が家の統合失調症の当事者も幼いときから発達障害的行動の異常で親や教師先生を困らせていましたが、1980年代当時の私と家内は児童精神科受診など思いもよらない別世界でした、 当時もし児童精神科受診して且つ上手く治療出来ていたなら、上手く治療出来るかどうかに問題ありですが、息子は今の当事者ではない別の人生を歩んでいたかも知れないと思っております、その時は家内も私も一生懸命生きていたつもりなので後悔はしていませんが 自分の視野が狭かった、、、保健所など多方面に相談すべきだった、、、などと反省してはおります。 家内は亡くなりましたが今も私の心の支えになってくれていますし、今後も私としては 当事者と私と医療・保健・福祉・行政などと其の時々只今現在の事態における適切な関係を模索し続けたく存じます。

 当事者の家族の集まりなどに行くと 時に 薬に詳しい方があの薬はコレコレ この薬はコレコレと能書きやら注意点やら評価を語る、ナルホドなるほど、、、病院に詳しい方が あの先生はコレコレ この担当者はコレコレなどと情報提供してくれる、ナルホドなるほど。。ただし 此れ等の有力情報をどう活用するかが難しい。多くの精神障害は原因不明の難病であり、どの薬がどう効いているのかとか 治療法とかが 百年来未だに一意的に定まり難く 当事者個人ごとの障害の実態も千差万別と言ってもよいのではないかと思っています。ある当事者の症状を改善できたのに 同じ治療法で悪化してしまう別の当事者も存在する可能性は低くはない。入院して良くなったとの話を聞いたので 我が家の当事者を十数年来診ていただいている主治医に<入院して改善できませんか>と私が相談したら 首を縦に振らないのです。

 我が家の当事者に対して 私が遣っていることは 以前は先ず薬の飲み忘れ防止のために食卓に必要錠剤を置いておくことでしたが 今は 何もせず当事者の発言行動を単に『受け止める』ことに専念しています、薬は多く強くすれば当事者は静かになりますが首曲がり涎垂れ流し手指震え廃人に向かってしまいます(これは先生にお願いして処方を変えて頂きました)、かと言って弱すぎると失調症状強まり家族は凌ぐのが大変です、勿論いずれにしろ当事者が一番たいへん苦しみますが。、1999年独居アパートで自分の心臓近くをハサミで突き刺し出血多量の処を大家が気付いて救急入院となり一命を取り留め其の後に統合失調症と診断された当事者である息子と共に生きてきた私の2020年只今の結論は 当事者の精神障害(統合失調症と診断されている)によると思われる理不尽な言動に対し拒否も反論も助言もしないが共感もせず受容もせず単に『受け止め凌ぐ』というものです。名のある先生方の話や著書には共感せよ受け入れよなども見受けられるようですが、理不尽な言動に対し共感や受け容れを本心から出きる分けもなく(表面的に取り繕うのは治療としても疑問です) 例えば我が家の統合失調症当事者の発言行動はacceptできる内容ではなく百歩譲ってもgetが精一杯です、例えば生前の家内に対し<お前のせいで俺はキチガイになったんだコノクソババア>、父親の私に対し<天才のまんまアノ世へ逝け~一生ほざいてろ俺は天才だとか特別だとかお前はア~うぬぼれクソジジイー自惚れたまんまアノ世へ行け~>とか<おいバカオトコおいゴミクズジジ~気持ち悪いアホだなお前はぁ~おいナルシスト~>とか 此の類の妄想幻聴に基ずく言葉を語彙を多様に変化させながら休憩を交えながら数時間繰り返し怒鳴る、時々興奮が極まって鼻息あらく目が座り ウォッホわふっアッフッ などと言葉にならず、このようなことが必ずしも連日ではないが日常的に繰り返されています、以前はこの状態を収めようとして家族が介入し興奮した当事者(息子)に蹴られて家内が肋骨を折られ救急入院したことも有りました。かなり以前 曜日入り一か月分の壁掛け薬入れとかテーブル置きタイプとか結構高価なものを薬局などで購入してトライさせ 監視したりもしましたが 20年に及ぶ超長距離マラソン的障害共生生活では 面倒なことは当事者も私もやり切れず どれも続かず 結局シンプルな現在のスタイルになりました。当事者に服用を一任するとほぼ服用しないのですが 薬を私が置かないで済むようになった時が 当事者が精神障害を一応克服した時かなと思って 諦めて薬準備はしていましたが、最近は其れも当事者の自主管理に任せています。当事者は健康な精神状態のときは1階の食卓へ来て私が作り置きしておいた食事を摂り 錠剤を持って パソコン室に向かいます。時には 牛ステーキ焼き立てだぞと私が叫ぶと二階から又はパソコン室から飛び出してきてがっつきます、これは 当事者が健康な精神状態の場合の話です。当事者が異常なとき換言すれば失調している精神状態に陥っている場合は 食事どころではなく 叫び怒鳴りまくり 私が諌めたり助言をしたりしても聞く耳持たず 却って興奮を助長する結果となります、∴かなり前からですが失調した時の当事者に対して今の私の対応は放っとくというものです、私の処に怒鳴り込んできたら❝話しを聞き或いは傾聴し受け止め❞ます、否定したり直そうとしたりせず受け止めているだけなら暴力には発展しません、兎に角何とかしようと助言したり心にもない共感を示したりするのが悪い結果を招くのです∵、受け止めるだけというのも私にとって精神的には大変ですが凌ぐのです。以前 私の冷静な助言でも 当事者がカアーとなって ダイニングキッチンドアを蹴破ったこともある、当事者一人だけでは其処までは興奮しない、助言者(家族など)との興奮のハーモニーが暴力にまで発達するのです。いまの私は 当事者に助言は一切せず ドナルノ怒鳴るの 飛んでけ~と 密かに唱えるだけ 或いは 無我の境地になる(最近は此れです)のです。唱える場合でも わざわざ当事者に聞こえるように言うわけではないので これは私の気休めですが 当事者も長時間怒鳴り切れず 其のうちに 失調から健康な精神状態を取り戻してダイニングキッチンに食い物漁りに来ます、、このように健康な精神状態に戻っている時は <息子:エアコンのコントローラー何処にあるの?> <私:テレビの後ろの上に有るよ>という調子で 親子一応普通の会話が出来ます。昔は 怒鳴りが続くと 私は どうして分けがわからんことを叫ぶんだ などと説得や助言に二階の当事者の部屋に駆け上がり向かったが たとえ オヤジの威力で一旦は怒鳴りを止められても ただ其れだけのことであり此の行為で精神障害は悪化こそすれど改善には役立たず 時間がたてば同じことの繰り返しであり 私の気休めにしかなっていなかったことを今となってはヨ~ク理解致しましたので、このような精神障害の奥深さを痛感して以降は 自由にさせています(息子は失調しても基本的に暴力は振るわないので助かっています)。2020年の今も統合失調症其れ自体を治す薬は無く当事者の自己治癒力に期待するしかなさそうです、統合失調症のすべての薬は陽性症状や陰性症状を改善するとか脳を休ませるなどの薬であって統合失調症を完治させる目的では作られていません。分けわからんが治ったぞという薬や治療法に遭遇する僥倖を期待することは出来るかもしれませんが、。また完治しないが寛解したなどという表現も有り精神医療は複雑怪奇です、私としては今後の課題は 当事者の健康な精神状態の時間を延ばす方策を見つけて 結果として 失調し怒鳴る時間を短縮出来ないかを目指しています。兎に角 異常な失調状態の精神状態を直そうと悪戦苦闘しても治すのは医師先生でも困難であるようですから(陰や陽の行き過ぎを抑制しては頂けますが、、抑制したための問題も発生するようですし) 私は 失調していない健康な精神状態の時間帯を狙い其処を延ばす作戦で行きます。何れにしろ すなわち兎に角 【精神障害を受け止め凌ぐ一手】です。。

 統合失調症になったエドヴァルド・ムンクは「叫び」を描いて有名になったが、このように精神障害でも活動できる方々も居れば 精神障害により日常生活も儘ならずという方々も居る。精神障害と言っても 障害の態様や困難の程度が千差万別であることを念頭におき その対応は 常に正しく当事者の現状を把握し 当事者が各々の精神障害と上手く付き合いながら各々可能な自己実現をしつつ生きることが出来るように支援することに尽きると考えています、勿論寛解に向かって出来る限りの治療は追求しますが無理は禁物です、マニュアル的な対応ではなく当事者各々の人生第一であり その前提での治療であり その一環で 当事者観察 情報収集 適切対応を工夫PDCA有るのみかな と思っています。(さまざまな著書や講演で上手くいったと言う事例を聞くたびに <<良かったですね其のやり方で回復される当事者が増えるといいですね>>、、<<我が家の当事者にも当て嵌まらないかな、でも我が家の当事者は其のやり方では回復しないグループに分類されることになる可能性大かも???>>、、などと考えている自分がいます)

 嫌だ 出来ない No を言ってもイインダヨ 言って問題が起こっても妥協図れば何とかなるよ 何ともならなくなったら其処で初めてサテどうしようかだ ケサラサラだ~ 精神的に無理して精神障害を惹き起こしてはつまらない。 気配り空気読む先読みなどできる人はやればよいが苦手な人は無理することはないよ それで人生損するかもしれないが命までは取られないよ 如何様にも生きて行けるよ 経済的に豊かな暮らしは出来ないかも知れないが 自分の心がけ次第で精神的には如何様にも豊かに鬱鬱活き活き暮らせると思って生きてゆきましょう。私流 いい加減のすすめ なるようになる いざとなったら何もかも放りだして開き直ればよい 上下もしがらみも生き抜くためにはどうでもよい戦国時代の生き方で良しと本音では思っています、現実建前では義理人情あつく理路整然八方美人ですが 追い詰められれば豹変できます。

 持病と共存して生きてい居る方々は少なくない、精神障害と共存して生きている方々も少なくない。うちの当事者は静かにしていると思って見ると 昔は手の平かえし を繰り返ししていたが最近は 結んで開いてを繰り返している それも物凄い繰り返し速度なのでシャッシャッシャッシャッという指の音が聞こえるのに驚く。調子が悪いと連日のように怒鳴る 二階の自分の部屋で 階段で 一階のパソコン室で 時には風呂で 、、、、家内が生きていた時は家内を攻撃する暴言内容だったが其れは家内が亡くなった其の日から止んだ。代わって私を攻撃する暴言内容になった。語彙は豊富で次々と変えるが 私を攻撃する主旨はほぼ同じようなことである(正確には多分妄想の中に出てくる私のアバター的な相手に向かって暴言を吐いていると思われる、、それを悟れなかったので 昔は暴言中の当事者の処に私や家内が諌めるために登場するのでアバターに代わり現実の私達が攻撃対象になってしまっていたと思われます)。(同じ言葉の繰り返しは切りがないので以下の例では適当に省略していますが)。。12JULY2018に数時間怒鳴った言葉をMEMOしてみた→→→天才でも何でもねえよテメエ~、 ー〃ー、-〃-、一生天才つずけとけえ~、-〃-、生涯天才つずけてろドクズ~、何が天才だよゴミがあ~~、どこが天才だあ~~、笑わせんなよ天才い~~、-〃-、ホントお前の天才ぶりにはヘドが出るよ~、一生やってろよ天才があ~~、一生天才つずけとけえ~、ゴミがあ~~、。。。"ここで暫く休みを入れた"、、、、 ""終わったかなと思ったら再び始まった""、、、うぬぼれてんじゃねえよ 自称天才があ~~、テメエは天才だと思い込んでるだけだあ~~、一生やっとけえ~~自称天才、死ぬまで天才天才勘違いしてろ~、死ぬまで天才天才思っとけ~~、一生天才天才カンチガイしとけえ~~、一生勘違いしてろ~俺は天才なんだってよお~~、一生思ってろ俺は天才だ天才だ~って、、ウホッ ウホ うっほ ""これは興奮極まった荒い息ずかいなどの音である"" ウッホ うほ ウッホホ、、、、、 クズ~ うぬぼれやがあ~~、一生天才やっとけえ~~ 死ぬまで天才でいろや~~人間のクズ~~何が天才だよ~~ホントお前は気持ち悪いヤローだよ~~、-〃-、、、、""ここで暫く休み時間とる""、、、何が天才だクズ人間~、、、""ひと休み""、、、何が天才だよ~~ 何が天才だよ~~ 何が天才だよ~~ テメエのどこが天才だ~テメエのどこが天才だ~ ホント気持ち悪い野郎だよテメエは~~ クズ人間~ テメエはクズだよ~~ 死ぬまでウヌボレテロヨ~クズ~せいぜい死ぬまで天才やってろ~ このドクズがあ~~、 お似合いだよクズ~ おにあいだよクズ人間~ クズにはオニアイだってクズ~~ クズ人間~オマエは人間のクズだよ~~、-〃-、ただウヌボレテルだけだあ~~、ただウヌボレテルだけだあ~お前は~~、一生ウヌボレテロヨ~ドクズ~、死ぬまで天才と勘違いしてろ~~~、、、、、""MEMOはここで止めたが この様な非難の言葉を此の後も休み時間を入れながら 延々と連発している、声も割鐘のように大きくなったりブツブツと小さくなったりしながらも数時間つずく、、私は昔は二階へ駆け上がり<何を分けわからぬこと怒鳴ってるんだ>などとタシナメたり助言したりしていたが其れは意味が無いか又は当事者と私の興奮のハーモニーなど悪く作用する可能性も多々あると納得して 今は一階の居間で努めて心静かに自分の事をしている、居間まで怒鳴り込んでくることは滅多にないし昔横になっているときに枕元まで怒鳴り込んできたが <当事者の体力は遥かに上だし抑え込まれ首絞められたら御終いだなと観念して覚悟して相手にせず黙って目をつぶっていた> そうしていると間もなく立ち去った、 また ドアを蹴飛ばしたりすれば流石に叱るが 其れ等は極めて珍しいことだし 受け止める一手に切り替えて以降は其れは起こっていないので 普通は<ドナルノ怒鳴るの飛んでけえ~~ どなるのドナルノとんでけ~~>と小さい声で唱えながら 或いは 見ざる聞かざる言わざる無我の境地となって私は家事などに勤しんで此の困難を凌いでいる 時には上記のような当事者メッセージをMEMOに取り或いは眠る""→→→家内が好きだったCDをラジオでボリューム最小限で聞いていると何時の間にかぐっすり眠っている、そうなると当事者の怒鳴り声<<オマエは元から特別だろ お前は一生特別でいろよ~、、天才気取りの馬鹿ナルシスト うぬぼれクソジジイ~~、、、うぬぼれ切った男だよオマエは~~うぬぼれ世界一のクソオヤジがよう~~>>などなどの大声も耳に入らず白河夜船である。一方で 息子である当事者の耳には多分 親父の私が<俺は天才だあ~、、俺は何でも出来るぞ~、、俺は特別なんだ~~>というような叫び声を上げて其れが五月蠅く聞こえている(幻聴)のか 又は 私が其のような考えを強く持っていて圧迫されていると思い込んでいる(妄想)かの何方か或いは其れ等の両方かで辛い思いをしていて 息子としては怒鳴ることで此の精神障害と向き合い困難を凌いでいると推察しています。私は家族会や友人知人に癒され好きを出来る事を探し突き進んで此の精神障害と向き合い困難を凌いでいます。息子も私も お互いに此の家族に降りかかってきた精神障害という困難を受け止め向き合って各々の遣り方で此の困難を凌いでいます。この意味で息子である当事者と私という家族の二人は同じ精神障害を凌ぐ仲間です、対立する存在ではなく精神障害という困難を各々が受け止めて助け合う存在なのです。多分一生涯続く此の困難を凌ぐ暮らしで <<私達は精神障害と共生する>>ことになると思っています。息子と精神障害と私という三者共生です。

 うちの当事者は 調子を崩して怒鳴っている数時間 以外は 普通の人に見える。一日中 怒鳴ったり休んだりを繰り返す 乱れた日もある。個人個人で精神障害の症状は多種多様であるらしい。 診断の正否は横に置いといて 統合失調症と診断されている うちの当事者の精神障害症状は 主に 気に入らない想念が思い浮かぶか聞こえるかして失調し怒気巻き起こり怒鳴りながら興奮を極める興奮精神状態 または 外出して買い食いし漫画読本買いこみ1Fパソコン室や2F自室で読み2F自分TV視聴し1Fパソコンで2チャンネル見たり動画配信見たり 家内の御霊舎の御供お菓子を勝手にお下がり食い 私が用意したオカズで 当事者自身で炊飯した麦飯を食いなどの安定健康精神状態 の2つの精神状態を日常的に突然反転させる症状であり 此れを一日の中で一転あるいは二転させている場合が多いが 繰り返し反転反復する乱れた日も有れば 一日中ほぼ安定健康精神状態の日もある というのが実情です。私が錠剤を食卓に毎日用意しておかなくとも薬を確実に服用してくれる日が訪れるよう祈っています(薬の準備は只今私は行っていませんが 薬の服用の可否を含めて何でもありで只今現実に臨んでおります) 。

 精神障害MentalDisorder は 回復可能性がある障がいDisorder(障碍)あるいは失調とされていて 多くの身体障害のように回復不可能と思われる障がいDisability(障碍)ではないと言われる。ですが Disabilityではないかと絶望的になることもありますが。

 当事者会と家族会は まったく別の意味合いを有していると考えます。当事者会で 或る当事者の体験の語りは他の当事者が傾聴すれば体験の分かち合いとなり自らの困難に対する理解の一助となる可能性があり回復の助けになる可能性があると考えます。家族会で 或る家族の体験の語り(愚痴歓迎です)は他の家族が傾聴すれば体験の分かち合いとなり自らの困難に対する理解の一助となる可能性があり精神障害と向き合い其の困難を凌ぐ力を増す一助となり 当事者との関わり方を良い方向に変化させる可能性があると考えます。 しかし 当事者と当事者を抱えた家族の交流に どの様な 良い効果が有るのか どの様な悪い効果が有るのか よく解らないのが実状です。検討不十分で 兎に角 交流を やってみようと言うのも有りとは思いますが 少しずつ 様子見しながら 進めるのが良さそうに思えます。私としては むしろ 健常者と精神障害当事者の交流とか健常者と精神障害家族会の交流をもっと図ると善いように存じます。

 風邪の原因は200種類以上のウィルスであると言われているが其のウィルスの相当多くが正体不明であり ざっくり要するに風邪の原因は不明で有り確実な治療法も不明である。これは精神障害の原因が不明であり其の確実な治療法も不明であるのと似ています。ただし決定的な違いは 風邪当事者の多くが治れば発症前の生活機能レベルを回復するのに対して 精神障害当事者の多くが寛解したと言っても発症前の生活機能レベルを十分には回復出来ないことが少なくないことである。

 精神障害者家族会の役割とは斯く斯く然然と定款に記載している団体もありますが 私は独断と偏見で次のように思っています。家族会は仲間と出会い支え合う癒しの場であり主な活動は①語り傾聴②学び③発信啓発の三つであるが 特に①語り傾聴(愚痴大歓迎)による癒し効果や困難を凌ぐ力を増す効果が最大のメリットと考えております。②や③は望ましいことですが 愚痴を語るのが精一杯という家族会員も少なからず居り その方々は最も困難な状況に陥っている家族と思われ ②③に向かう余力が無い状況であり 最も家族会を必要としている方々であると考えるからです。愚痴ばかり語り合っていて嫌になったと言う会員も時々おられますが 其の方は多分家族会を抜けても十分に強く生きられる方と拝察いたします、其のお考えを否定はしませんのでドウカ愚痴る方の邪魔だけはしないでくださいとお願い申し上げます。。。

01june2023 新聞記事で知る限りでの判断ですが 5月25日に長野県中野市での4人殺害事件、日常的に犯人の自宅前を散歩通過していただけの散歩中のご婦人二人刺殺し かつ 駆けつけたパトカーの警官二人を猟銃で射殺し 平然と自宅に引き上げて立てこもった犯人青木政憲(31)について私の思うところを述べます。先ずは被害者の方々のご冥福を祈念申し上げます。そのうえで 報道の事実関係記事で多様な問題提起解説がなされているので その類の意見は横に置き、私としては ただ一つ 今年2月頃に実施されたと言う 猟銃所持免許査定に於いて 本人(今回の犯人)の精神について健常と判定して 猟銃免許更新を認めているということを問題にしたく存じます、この犯人は明らかに精神的健常者ではないと私は考えます。これは偶々見落としたと言う問題ではなく 根深い問題であると考えるからです。そもそも現在の精神医学のレベルでは 精神障がい者とか病的精神的異常者などと精神的健常者との区別の判定が正確に行えていないのではないか と危惧しております、精神科医が短時間面接しただけで判定している現状は 見落とし 誤診断 過少診断 過大診断など に満ち満ちています、勿論多くの場合は適切に診断されていると信じていますが、限られた情報と不十分な精神医学の現状知見のみで精神的健常性の診断を迫られている精神科医の方々の努力に 私は大いに敬意を表する者です。ここで 精神的に健常か否かの診断に必要な事柄や不足を列挙すると 身体的治療医学に比較して精神医学的知見がまだまだ不十分(これは身体分野より精神の分野の方が関係する要因が複雑怪奇かつ無限大的広がりを見せていることに原因があり関係する科学者医学者の努力不足とは全く言えませんが)ということが第一に挙げられます、次に当事者(精神科医に診察を受ける被診察者)の身体的検査精神的検査・調査や診察だけでなく 当事者の家族や近所や親類や仕事関係者地域関係者その他当事者に過去現在において影響を及ぼしている存在を社会的多面的重層的網羅的に要因として調査し総合的に診断することで適切に診断できる確率が劇的に向上すると考えます。但し このような総合的診断を実行することには多大な日時と労力が必要になり現状ではほぼ不可能ですが 今後情報通信技術の進展やAIなどを大いに活用できて劇的な省力化や劇的な調査分析能力の向上を果たした暁には このような総合的診断が出来る時代になると期待しております。。