他人事我事も禍福も正誤も善悪も糾える縄の如し

人権侵害の記事を見て可哀想にとは思っても どこか他人事であるのが平和な一般人と言うものかも知れない。しかし 精神科の医療保護入院制度と成年後見制度についての問題事例を見聞きするうちに 他人事でもなさそうに思えてきた。先ず 精神科の医療保護入院は家族1名が申し立てれば医師の同意により医療保護入院させられる、、そして一旦入院させられると当初申し立てた家族が退院願いを出しても医師の同意無ければ退院させられないのである、刑務所には刑期があるが精神科の医療保護入院には期限は無いようで担当医師は神様のような絶大な権限を持つ。担当医師が有難い神様なら何の問題も無いが 人間だから判断ミスや私的感情も加わると考えるのが自然のように思う。だから当事者関係者が退院させても良いと思われるのに退院不可とされ 精神医療審査会に申し立てても認められるのは数百件に1件との記事もある。なお 精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(略称:精神保健福祉法)29条により暴れたりして警察沙汰などの措置入院と 33条によるこの医療保護入院は別物である。措置入院は72時間以上入院させるには更に1名の医師の同意も必要になるが 医療保護入院では其れも必要ないので一人の医師の判断に入院患者の人生が握られる、短期間なら止む無しだが何年もの長期間では第三者の途中判断を加えるべきと思われます。。。振り返って 我家の当事者は 毎日のように失調すると怒鳴って罵倒して騒ぐので 昔は説得や喧嘩もしたがかえって暴力招き 埒が明かず 入院させたくなる激情もありましたが今は <<当事者は怒鳴って騒いで 其れで心のバランスが取れるなら マァいいか >> と解釈して 有りの儘を受け止めています、断続的に数時間騒ぐので こちらもストレス解消策が大変です。永年馴染んだ精神神経科の担当医の先生は入院に消極的です。。。

暴言怒声などは一般論では悪い行為で就業規則で処分相当だが 単純ミスで重大な業務上の失敗をした部下に対し一瞬バカヤローと上司が怒鳴っても周囲は許容しそうである、勿論この場合も威嚇言動ですから減給3日分の処罰相当と考えますが。ただ如何なる場面でも 大きな声はNGとか威嚇言動とまでは言えないものまで一律に縛る規則を作ると 組織の活力が失われそうな気がします。暴力暴言怒声ニラミその他威嚇言動を禁止する処罰付き厳しい就業規則を作って事足れりではなく 勿論威嚇言動禁止だが活気を失わせぬ程度の就業規則を制定し 其れで至らぬ点は取締役などが 悪い人間関係を見抜き ケースバイケースで適切に対策することが望まれます。其れが出来ないほどに巨大化した組織は組織分割するしかなさそうです。もっとも例えば 社長が怒鳴る人だったら社長の意識改革から始めねばならず前途多難ですが 理解のある株主が社内外関係者・行政・学者を巻き込んで適切な就業規則を制定させるような働きかけをすることが望まれます。。

 お客様は神様ですは三波春夫の名言だが誤解曲解により今やCustomerHarassmentの温床になってしまった。売り手と買い手は本来対等です、買い手が神様という理屈は虚構です。株式市場では売り手買い手どちらかが偉いなどと思う人間はいません。家を売る人と買う人どちらかが上位と考える人もいないでしょう、しかし不景気で売れない建売を数少ない買い手に阿諛追従してでも売りたいセールス担当者は現れるでしょう、その時に出現したお客様は神様に思えるでしょうが だからと言って そのお客様が建物の僅かの瑕疵に腹を立ててセールス担当者に土下座要求したり担当者個人に金品要求(会社相手に瑕疵責任要求するのが筋だが)したりするのはカスハラにあたり許されず弁護士相談レベルと思われます。さて 上司vs部下 顧客vs提供者 買い手vs売り手などは契約関係であり みんな人間としては対等な人間関係にあります、其れを前提にした上で 契約関係としての上下関係などが発生しているだけと考えられます、契約としての業務上 上司は部下に命令する権利はありますが怒鳴るとか威嚇する権利までは有りませんし、適法で合理的な命令を超える命令たとえば肩を揉め脚を摩れ煙草を買って来いなどなど は契約上無効かつ違法と考えられます、この意味で極端な例で部下の女性に自分に抱き付きなさいという命令は無効でありパワハラになります。また例えば 高い客単価で過剰サービスの喫茶店に慣れた客が たまたま安さが売りの喫茶店に入り席から水頼んでもセルフサービス指示され怒り怒鳴り馬鹿死ね~~金を払って貰いたければ俺の肩を少し揉め~と要求して 一人で忙しくい働いていた女子店員に肩を揉ませて出ていったケース、これは110番通報レベル慰謝料弁護士相談レベルのカスハラと考えられます。お客様に感謝してオモテナシし 神様と思うのは個人的勝手にどうぞおやり下さいと言いたいところですが その種のサービスを自分だけ成績抜きん出ようと多数が遣りだすと其れが社会的常識になってしまい先ほどの事例の様な馬鹿げた人間を産み出してしまうので <<お客さまは神様です説>>は今となっては絶対に許容できません、 此の世界には疫病神 貧乏神 其の他の禍神さまも多様に少なからず存在し <<お客様という神様>>も其れ等の禍神さまの一つであると考えられます。。。

 精神的な問題行動を正しく理解することは難しく困難な作業と思われます、そのような問題に立ち向かう精神科の先生方のご苦労には敬意を表したいと存じます。その対処の 第一段階は薬の処方と見受けられます。 患者の問題行動にも様々これあり 暴力行為の恐れあれば強力な鎮静作用ある薬の処方も第一段階として必然と思われますが 低い声で独り言を言い続けるとか 夜中に相部屋の自分の医療ベッドの横にスックと起ちあがっていて看護師が驚くとか という程度の問題行動をした 今は亡き難病患者だった家内に対して 看護師か家内の担当医先生の要請とおもわれる精神科の先生が抗精神病薬を処方したことあり。そのことは一時的には止む無しと思っていたところ 家内が従来とは様変わりの様子になってきたので 驚いて 関係する看護師と先生に抗精神病薬中止を懇願して何回も私を交えて打合せ会を開いていただき やっと抗精神病薬投与中止を勝ち取りました。その結果 家内は従来私が慣れ親しんだ普通の言動様子に戻りました、たしか家内が長期入院していた2014年春頃数か月間の出来事でしたが 今でも私の行動で 抗精神病薬連用を原因とする精神障害から家内を救えたと自負しています。私は其の時の精神科医の女性の先生を非難しません、ただし患者の問題行動の実態を把握分析する手段をもっと磨いて欲しくは思いますが。また看護師の方々が 家内の問題行動に対して許容限度を引き上げて下されば抗精神病薬投与をしない対処をするか又は極めて短時日の薬投与にすることが出来たのではないかとも考えています、、これは看護師の皆様にご苦労を追加することになりますが宜しくお願いしたい処です。

2歳と6歳育児中でパートしているお母さんがコロナ禍で育児休業し雇用安定助成金を受け取ろうとすると企業経由なので企業によっては行政に申請してくれないという問題が多発しているらしい。現状は 雇用調整助成金も雇用安定助成金も企業経由でなされているが 休職している労働者が直接ハローワークで雇用安定助成金などを受け取る仕組みにすべきと考えます。これで前述の問題は解決します。失業してからハローワークを頼るという現状よりも 休職している労働者も転職しやすくなり 労働市場の流動性も高まると考えられます。

認知症や精神障害になった当事者の家族親族にたいして成年後見開始申立てをするように銀行や福祉施設や行政が働きかけている。問題は成年後見制度が当事者である被後見人の人権や残存能力などに対して適切に配慮できる仕組みになっていないことである。成年後見人が被後見人を尊重し家族親族の生活や気持ちなどにも配慮が行き届き且つ優しいいい加減さを有する理想的後見人であるなら問題はないが 理想的後見人とは程遠い場合が現実であるにも関わらず 成年後見人は当事者や家族親族に対して独裁者的存在になる法的仕組みなのです。例えれ成年後見人が飼い主で被後見人および家族がペットのような従属的法的立場に置かれてしまうのです。うすうす此の事を嗅ぎ取っている国民の多数は成年後見制度申込を敬遠しているのです。財産等の棄損を防ごうとする目的は正しくとも 成年後見制度では当事者の人権を必要以上に剝奪し結果として家族(とくに伴侶)の自由や人権にも著しい制限を加えてしまう例が少なくないと思われます。しかも例外を除いて 一旦成年後見開始すると死ぬまで止められないのです、たとえば当事者が精神障害者や知的障害者などであって当事者の意思表明ができる場面があっても一旦始めた成年後見をほぼ中止できないので 家族が家族信託制度利用に切り替えるなどという選択の自由も奪われたままになるのです。現状でベターの選択は 成年後見制度利用する前に 当事者が意思表明できる場面で家族信託契約をしておくことと思われます。

個人的に抜きん出た学者や政治家や芸術家や芸能人などの有名人は過去も現在も多数おられます。そこで最近思うことですが これ等の有名人の中で突然失脚される方が時々おられることです。運が悪かった 時に利あらず  もう引き際などの理由で片付けることもできますが 御当人が無意識に自己過信し思い上がっていたことが要因である場合もあるように思うのです。御当人が成果を挙げる要因の一つに 縁の下の力持ちの存在があります。過去あるいは現在の身近な人が縁の下の力持ちである場合もあれば 特定できない多数の関係者が縁の下の力持ちである場合もあると考えられます。自分を過信して思い上がり 意識的あるいは無意識的いずれにしても 自分だけで只今の成果を挙げ続け出来ているという考えで行動し続けているうちに何らかの陥穽遮断事態に突然遭遇して失脚あるいは成果を挙げられなくなる場合が生ずるのではないかと観ております。何らかの意味で縁の下の力持ちの存在のお世話になって今が在ること 或いは世間のお陰様で今が在ることを忘れてしまっているか軽視していることが大きな要因ではないかと推察いたします。

偉いね、、、頑張ってるね、、、などと障がい者や子供などの弱者に声掛けする方々は少なくない。良かれと思って遣っているのだが 上から目縁での声掛けであることも確かであると考えます。。其の弱者が 普通以上に頑張っている場面なら上記の声掛けはありと思うが 困難は有っても其の弱者なりに普通の生活を送っているだけの場面で有れば上記の声掛けは無用というより上から目線の自己満足の行為と私には思えます。。もし貴方が普通に生活しているだけの日常行為において通り掛かりの誰かから 「偉いね」などという声掛けを受けたら どのように感じるでしょうか??

兎角 専門家は普及している言葉とは別に専門用語あるいは独特の読み方をわざわざ使用する傾向有りと感じています。たとえば遺言を普通はユイゴンと読む方が多数と思われますが 法律の専門家はイゴンと読むようです。ユイゴンと読むと専門家としての沽券にかかわると考えているように私には見えてしまいます、ただし遺言という言葉の歴史を調べていないので私の誤解と偏見かも知れませんが。。

無料という詐欺的錯誤誘因的で魅力的情緒的な言葉が蔓延している。送料無料とは貴方から直接的に送料を頂かないという意味であり間接的には勿論必要な金額は獲得して其れを運送業者に支払っているのが正確な実態です、売った業者は利益を削って運送業者に支払いしていると言うかもしれないが 其れなら 運賃分を安くした品代表示にしてプラス送料としても購入者が支払う金額は前者と変わらないのである、ただし 前者の 無料という表示の遣り方の方が消費者受けすると言うのが現状の世間の人情と言うものであろうとは思います。。NHKは受信料有料ですが 民放は受信料無料です、此れも送料無料と同じような経済構造になっています、つまり視聴者から直接的には受信料を頂かないと言う意味であり間接的には勿論受信料を支払わせています、民放も社員の給料やら経費やらタレント報酬支払やらで何百億円どころではない金額の支出があり此れに加えて利益も出しています(もっとも企業経営としては利益が出ずに損失になってしまう場合もあるでしょうが)、これに対する収入の大半はコマーシャルCMを出している企業からの広告収入のようです(放送以外の事業も行って稼いではいるようですが)、と言うことはCMを出している企業はCMコストを製品価格やサービス価格に上乗せして消費者に供給しているということです、利益を削ってCMを打ってると言うかもしれませんが この場合でも CMコストを差し引いた製品単価やサービス価格を表示しプラスCMコスト相当分(これが間接的受信料に相当します)という表示も出来るはずですが 企業は遣らないでしょうし消費者も要求していないのが現状です、、送料無料と同様の構図です。。NHKは受信料有料で民放は受信料無料だと叫ぶ方々も居られますが 国民経済を総括して判断すれば 直接徴収か間接徴収かの違いであると理解すべきと考えます。ただし当該物品やサービスを購入しない個人単位で考えれば間接受信料相当分も支払わずタダ乗りしている個人も居られるでしょうが 国民全員で計算してみれば前述の理屈になっていると思います。無料のSNSも同様のカラクリです。。直接的支出が無いと言うのは助かることも多いので 魔力的な 無料 は今後とも蔓延することでしょう。。確りと得失を見極めて利用を判断したく存じます。