複雑怪奇な此の世界 良かれが悪いこともあり無限の未知と有限の既知

良かれとしたことが悪い結果を招くことは少なくない。世界は複雑怪奇であり人知の及ばない面がある。恐れ過ぎるべきではなく可能性に向かって果敢に挑戦すべきですが 無限世界において人間やAIが何でも分かり出来ることにはならず 慎重にすべきであると考えます。

 成年後見制度も良かれと思って実施されていますが 夫が認知症等になり半ば強制的に勧められて制度を利用した二人暮らし老夫婦の妻が 夫の年金頼りなのに預金も自由に引き出せない厳格な財産管理下に置かれて困っていると言う話しを時々聞きます、成年後見人が優しく気配りしてくれれば良い理屈ですが。良かれとしてできた制度で悪い結果に陥っている方々もいるのです。身寄りもなく独り者で認知症になったのなら成年後見人に全てお任せで ご当人は極楽極楽かも知れませんが。

成年後見制度  に関し思うところを述べさせて頂きます。制度立法約20年で見直し時です。成年後見制度利用が進捗しない主要因は行政の努力不足等ではなく   制度の理念 と現実との離が大きく   制度を利用した家族が却って困難に陥った例を多くの国民市民が見聞して躊躇している所為であると 考えます。 例えば 精神障害者の成年後見人は 被後見人の自己決定権尊重や残存能力活用をしているようには見えないし   其れは未だしもノーマライゼイション実現の最大協力者たる家族に財産の自由裁量余地を殆ど与えず厳しい成年後見人に当たると夫の財産はそこそこ有るのにギリギリの生活費しか許可されないと訴える被後見人である夫の妻の声の記事を屡々見かけます、そもそも妻も婚姻後の財産形成に貢献しているのに形式上夫の財産に一括されている例は日本では少なくなく 夫の財産に対する妻の貢献分の権利が全く零にされています。     夫婦の一方や子が認知症や精神障害者などになった場合に介護支援や障害者支援サービスで凌げる家族の生活状況や財産状況に該当すれば成年後見利用を勧めないというガイドラインを多様な具体的例と共に示すべきであるし    逆に該当しなければ成年後見制度利用を強く勧奨する   という公的な仕組み造りと広報が望まれます。意思表示できなくなった夫の預金は夫の成年後見人の許可を受けた金額のみ妻が引き出せるというのは現行法的には当然ですが 大局的に達観すれば妻の貢献もあって夫婦で築き上げた財産であり 夫のみを代理する成年後見人が財産全部の全権を有する現行法制度は 妻の権利を不必要に著しく侵害しています。勿論 日常的に夫婦の財産を貢献度に応じて適時適切に資産分割している場合であれば前述の問題は生じない理屈ですが 日本の現状では 多くの場合 夫が妻の貢献分を妻の資産として日常的に適時適切に分割してはいないと考えられます。健常な夫なら過去の経緯や心情的に妻の言い分を認めて出す金額も 夫の成年後見人は夫そのものではないので妻の言い分を認めるとは限りません、妻は夫が亡くなり相続するまで此のような厳しい立場に置かれます。そこで 夫が僅かでも意思表示できる時に 家族信託などを契約利用するのも一策と思います。また 18feb2021のTVニュースで 銀行が例外的な事案について成年後見人の許可なしでも夫の財産を妻が処分できるようにする?とありました、このニュースが図らずも現行成年後見制度の矛盾を露呈しています。

 ハンコに小さな窪み等の目印を付けている物あり。押印面の上下を見なくとも分かるように 良かれと思って目印を付けて便利にしているのですが その意味だけで言えば良いことですが 安易に素早く押印してしまって 押さなければよかった もっと時間かけて考えて 押印を止めるべきだったと後悔する方々も稀に居られるようです。目印がないと 上下確認のために印面を確認する時間を要しますが この時間は図らずも 捺印すべきか否かを再思考する時間にもなっています、この再思考で思い止まる場合もあるのです、良かれと目印を付け便利にしたことが悪い結果を招いた例です、素早く押印して後悔するぐらいなら不便で良かったのです。。

原発全廃運動が勢いずいています。東日本大震災による福島の原子力発電所事故被害は悲惨なものであり今なお苦境から抜け出せない方も大勢居られ心が痛みます。被害者の皆様の気持ちを考えると忍びない事なのですが 私はそれでも原発は安全第一の斬新設計を追及した上で推進すべきと考えております。人類は原人だった太古より 様々な失敗を繰り返し 発生した問題を克服解決し進化しながら現在に至っていると認識しております。問題が発生したら 其のことは捨てて他に転ずる場合と 其のことに拘って革新を達成する場合とが有りますが 地球温暖化ガス発生のない原子力発電かつ人類の宇宙移住時に太陽光の届かない宇宙旅行中におけるエネルギー源となる原子力発電は 捨ててはならない技術と考えます。突然変異的斬新な原子力発電装置を研究開発しましょう。電子レンジも危険な代物ですが安全装置が確実に働いている前提で安全です、小型家庭用原子力発電装置を実用化することが出来れば有用と考えますし それは電気自動車のの電源にもなり得ます、安全第一の設計思想のもとで超小型原発を開発することに挑戦し 其の集合体で大出力対応をすれば 安全な原発を造れると考えます。。失敗から逃げずに技術革新を継続すれば人類の未来も拓けると思います。なお太陽の残り寿命は50億年ぐらいと言われるが其れよりも遥か前に激変する太陽活動により人類含む生物は地球に住めなくなるのは確実と研究者は語るので 其れまでに人類全員が他の恒星にある惑星に移住しなければ滅びる。この宇宙移住時の生活エネルギー源として原子力発電は最有力候補であり 現在持て囃されている再生可能エネルギは全く役に立たない。この意味でも原発研究実用化推進は止めてはならないと考察いたします。繰り返しますが 安全ではない現在の原発を前提に議論すべきでないということであり安全なサイズとスタイルを含む革新的原発モデルを設計製作する議論から始めるべきと言うことです。

人類が利用している物事でリスクの無いものはない。ベネフィットとリスクの許容度のバランスあるのみと考えます。コロナワクチン接種のリスクよりベネフィットが勝ると判断して多くの方々がコロナワクチン接種決定しています。この接種で死亡する方も少数ながら発生するとは予想されますが。

世間の流れ勢いにより 誤った考え方が主流になることあり。 生きて虜囚の辱めを受けず という戦陣訓 陸訓第一号(1941年に東条英機陸軍大臣が発した戦陣訓)が有るが 此れより法体系としては上位にある軍法では捕虜になることを許容しており処罰規定は設けていないにも関わらず 第二次大戦中には陸訓第一号を念頭に一部の過激軍人が 戻ってきた捕虜を処罰する事態に立ち至っている。真正は何れか自分自身で且つ皆でも常に考察し続けるべきものではあるが考え過ぎては生きてゆけず妥協も必要であるとも思う次第です。まさに正誤はあざなえる縄のごとし 世間の常識もあざなえる縄のごとし。。

此の世界は無限の未知と有限の既知で構成されている。無限の未知に目を向け過ぎると絶望的になるし、有限の既知の増加を見ていると希望が湧いてくる。発見や発明や創意工夫などにより人類は進歩し或いは進化し文明を築いてきたが それ等は有限の既知の増加であるとも言える。その成果の一つがAIであり 将来は人間を凌ぐ存在になると考える向きもあるが コンピュータは今でも既に部分的には人間を凌いでいるが人間にとって代わるとまでは考え難い、同様に AIも有限の既知で構成されているから 無限の未知の一部である人間に取って代わることは出来ないと考えられる。

人間が無限の未知の一部であると考えられる根拠の一つに腸内細菌や腸内真菌などとの共存がある。人間は微生物と共存することなどで生きている。その他にも太陽光など人間が生きるために必要な存在が人体の内部や外部環境や宇宙などにも存在しているが 今後も偶に新たに発見され続けると考えられる。このように視野を広げないと 変わった病気などの解明はますます困難と思われる。例えば腸発酵症候という 普通の人では考えつかないような腸内でアルコール醸造が行われてしまうという症候群もあり 生命の歴史的視点でほぼ解明されているようであり、、有効な対症療法はあるようですが死亡例もあるという、、、しかし此の症状などは人間が自然環境の一部であることを示唆していると考えられます。

見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ、、、とは金子みすゞの詩の一節です。 私の身近かでも 詩とは無縁な物理現象ながら 見えぬけれども在るという明確な例がある、、それは水蒸気である、、水蒸気は白っぽく見えるではないかと反論されそうだが 其れは見えない水蒸気が空気で冷やされて一部が微細な霧に変化し 其の霧が見えているのであって 真に水蒸気のままであれば見えないガス状態にあるので人間には見えないはずなのです。、、、さらに形而上的な例では 心は見えぬけれども在るし 自分が食べたお米を作ってくれた農家の方の苦労や労働は見えないけれども在ったのであり 視野を広げると自分が毎日普通に生活出来ているのは地域や国などの社会活動が普通に営まれているお陰様であり、そういうお陰様社会は見えないけれども在り、自分が無人島で生きている場合とお陰様社会の一員として生きている場合とを比較想像すれば お陰様社会の存在を了解できるのではないかと考えます。。

何事にも良い面と悪い面がある。神社にお参りする際に 手水舎にてお清めすることは大切な作法であり私も行いますが 視点を変えると此の慣習にも問題ありです。手水舎にてお清めすることは コロナなど感染症の視点で考えると 感染リスクを高める悪い行為となります。世の中にリスクを伴わない行為はないと割り切ればそれだけの話ですが 何事も良い面と悪い面のバランスを総合的に判断して其の実行を決めることになるかと思います。さらに言えば善悪二面論は単純に過ぎていて そうではなく 数多くの要因と数多くの価値観が複雑に相関している多元多面なこの世界を 人間が理解できる程度に省略して理解しているのが現実であると了解して いいかげん適当に適切に妥協して 可能な限り速やかに行動することに致したく存じます。。 

AI が持て囃されている。Chat GPT で世界が変わるという話もある。AIは万能に見える。しかし それでも相変わらず 未来は不透明と考えられます。この世界は無限です、AIが無限の働きを出来るとは信じがたいが 仮に無限の働きが出来たとしても 世界の無限からAIの無限を引いた時に 未だ訳の分からない無限が残っていると考えられます。このようにして残っている訳の分からない無限が未来を不透明にしていると考えています。ただし 未来に向かって努力することは大切であり意義があると私は考えており あらゆる地球生命体と共存共栄しつつAIなどを活用した人類が 無限の世界を掘り続けて不透明な未来を未来永劫子子孫孫生き続ける行動をすべきと思います。みんなの努力で出来るだけ永く この美しい生命が存続することを願っています。