10統合失調症
統合失調症は精神障害の代表的症候群の名称である。精神病など精神疾患を含む障害も少なくないようですが 精神疾患を含まない精神的障害である場合もある、つまり 病とは限らない症候群なのです(日本精神神経学会の決議を受けた厚生労働省が65年間使用してきた精神分裂病という診断名を変更して統合失調症にする通達を2002年8月にした)。我が家の当事者は 前者に該当するのか後者に該当するのか定かでは無い。2000年ごろに大和病院の女の先生が 精神分裂病では無いかもと検査をしてくれたことがあるが よく分からないまま 今も統合失調症として月1回通院を続けている次第です。事情あり 現在 我が家の当事者はだいぶ前から北里東病院へ統合失調症当事者として通院しています。我が家の当事者は 毎日のように 割れ鐘のような大声で 攻撃的暴言<<ゴミクズバカ~どうやったらソンナニうぬぼれ自惚れられるんだよ ~~俺は出来る俺は出来る俺は出来る~~~ウヌボレクソジジイ何が天才だ~うぬぼれたマンマあの世へゆけ~>>などと百篇返し断続的に数時間怒鳴るので受け止める私もストレス蓄積し近所にも迷惑ですが 防音工事の効果も多少は此れ有り 近所付き合いも悪くはないので 私は低姿勢ながらも 堂々と生きております、なお20年以上前1999年発症当時は発言も含めて今とは異なる症状だったような気もしますが確かな記録が乏しい上にメモ散逸もありハッキリは思い出せません。さて15年ぐらい前だったと記憶しておりますが 通り一本離れた近所の戸建て住宅の大学入ったぐらいの御子息が隣の家に裸で飛び込んで大騒ぎ、噂を伝え聞いて 知らない仲ではない家内が 我が家と同様に精神分裂病と直感して其処の奥さんを支えてあげようと話しに伺ったが精神障害のことは頑として認めなかったという。家内としては大和さくら会の仲間と共に支えあい困難を凌ぎましょうというつもりで伺ったのですが 其の奥様は そもそも障害を受け容れられないようでした。間もなく 其の自宅を売却して何処かへ転居されました、其の息子さんの障害が改善され ご一家の生活が充実したものに成っていることを願っております。。
精神分裂病から統合失調症に名称変更をした2002年は記念すべき年であると思います。そもそも症候群を指している名称らしいので病という名称は不適切だったようです。1952年のクロルプロマジンの効能効果発見以来の薬物療法の進歩もあり 21世紀に入ってからは日本でも入院治療優先政策から在宅治療優先政策に変化していると思われます。精神神経学会のテーマ別発表者の意見などを読むと <<、、、、、不良な予後の群は20~30%であり 此の数値は決して全ての患者に楽観を許すものではないが 肝炎などの多くの身体疾患と比べて特に不良というわけではない、、、、、>>などと記載されていて、世間に今も残る 不治の病 扱いの不当性を訴えているように見えます。。。このような専門家のご意見に基本的には納得ですが 我が家の当事者と向き合うと 未だにSchizophrenia であるなあ と実感させられています。ちなみに 日本では 精神分裂病から統合失調症に名称変更しましたが 欧米では従来通りにSchizophreniaという名称を使用しています。。
ジョン・ナッシュみたいにSZ治らなくとも入院したりしても何かを遣ることが出来れば家族としても当事者を支え甲斐が有るなああ、、などと妄想しております。当事者が困難に陥っている分と正の相関的に 統合失調症当事者に向き合う家族も困難を極めております。まず当事者に向き合う家族の向き合い方が症状の悪化や改善に関わってきます、当事者の有りの儘を受け止める、精神障害の一面も健常な一面も ありのままに が大前提です。当事者の言い分行動に妄想幻覚幻聴など精神障害の一面が含まれていると周囲の者が判断しても 周囲の者が 其れは妄想幻覚幻聴だよなどと当事者の行動言い分の健常性を否定しても 当事者にとっては事実として認識していることであり妄想幻覚幻聴など精神障害の一面とは認め得ず よって当事者が孤立感を増して症状の悪化を招く可能性も有り、、、、と言って当事者の健常性主張に周囲の者が迎合して当事者の言い分行動を全面的に肯定し受け入れると妄想幻覚幻聴など精神障害の一面を補強することになってヤハリ症状がますます悪化する可能性が高まる、否定も肯定も悪いなら当事者の言い分行動を無視するしかないが当事者の話を聞かないと孤立感を増してヤハリ症状を悪化させるようである。従って当事者の言い分を最後まで聴き<<受け止めること>>は極めて大切になる、、、ただし<<受け止めること>> は 【受け入れること】とは全く異なります、、、【受け入れること】は肯定することを含みますが<<受け止めること>>は肯定も否定もしないで 当事者の言い分行動をありのままに聴き受け止める事なのです、、、例えば 幻聴で当事者が「悪口が聞こえる」と主張するとき「悪口が聞こえるのだね」と周囲の者がオウム返しで当事者に確認する行為は<<受け止める>>ということになりますが、「そう思って聞くと悪口が聞こえる」などと周囲の者が迎合し肯定することは【受け入れる】ことになる。ちなみに「悪口など聴こえないよ」と否定し事実を告げると事実か否かを当事者と争うことになりそうだが此れも良い結果は得られない、と言うのが大方の専門家の見解のようである。ただし当事者の言い分を過度に真剣に聴き過ぎることも当事者のストレスになり例えばウツ病を併発することがあるとの情報もあり、話しの全体を 確り聴く部分と軽く聞く部分に適切に切り分けて兎に角当事者の全部を適切に受け止めることが大切になると考えております、この適切に がクセモノで困難な事です。。私は我が家の当事者の現実・つらさは理解しようと努力しておりますが本当のことは分かりません、、日常で口走る当事者の独語に対してですが たとえば〔ダメだ〕と私の身近で当事者が言ったので私が<ダメッ??>と聞きかえすと 〔イヤ なんでもない〕と当事者が返してくるなどと言う経験も少なくない此れは当事者が偶々独語発しながら私の近くを通りかかったために私の聞き返しに当事者が一瞬我に返り返答してきたものと理解しました。。、、、我が家の当事者は 私が用意した食事を旨いと言って食べた数時間後には <クソ ウヌボレタ ジジイだよオマエはああ~~> などと怒鳴るという調子の毎日を過ごしておりますので 態度行動が分裂していて一貫性が有りませんが 今の私に敵意を持っているわけではないように見受けられる一方で、二十年以上前の私が俺は儲けられると自惚れていたのを子供として黙って観ていた当事者が現在に至ってフラッシュバックして怒鳴っているのかなと勝手に理解することも有ります、、ただ怒鳴っている時間帯の当事者にタマタマ顔を合わすと 興奮して目が据わり私に敵意をもっているような目付きをしていますが。。私は此の程度の騒ぎでは聞き流して見守るだけであり 批判や非難や助言やらは今では一切いたしません<<受け止める>>一手です、、当事者は幸い暴力は基本的に振るいません、口論し当事者と家族が怒りのハーモニーを演じてしまった昔には 時に有ったことですが、昔は私が当事者本人の所へ駆け込んで<何を訳分からんこと怒鳴っているんだ>と非難し文句付けたり、すると時に当事者は興奮極まってドアを蹴破ったり、家内と口論して家内の胸を蹴り肋骨骨折救急車呼んだことも有り、本人は蹴る真似したら当たってしまったと言い訳はしたが瞬間激高したことも事実、、、<こんな生活を一生してるつもりか 何か遣ることを見つけたらどうだ>などと説教したり、<部活でやってた卓球なら取っ掛かりやすいのでは>などと助言したりもしましたが 今は黙って見守るだけです。当事者本人が落ち着いている時間帯が長くなってきたら 寝るか起きてもパソコン2CH(5ch)や少女エロ漫画見るなどの今の暮らし方以外に好きなことを見つけることとか 自立支援センターへ通うことなどを無理ない範囲で奨めることも有りとは思っています。私自身も普通に 好きを 出来ることを 見つけ積極的に行動し確かな日常生活をすべく無理のない程度に努力しているつもりです。。
我が家の当事者は自主的には服薬しないのが私の悩みです。月一で自主的に通院して薬局にも立ち寄りクスリ購入までは確実にやるのですが クスリを食卓の所定の箱に入れるまででTHAT'S ALL。。放っておくとクスリは減りません。。やむなく 当日分のクスリを私が食卓の隅に置いておくと 無くなっているので多分服用しているのだろうと思っています。空になっている錠剤パックがゴミ箱に入っているので服用確認出来ますが たまに 錠剤が入ったままのパックが洗濯物のポケットから出てきたりするので服用しない時もあるようです。それを見つけてもその度に何か言ったりはしていません。服薬意識を高める何か妙案はないかなと考えてはいます。、、????????、、、。。。。??????、以上のように考えていた時から二十数年経過した最近は 私の考え方も変化しました、其れは 【現状で 急性期を過ぎて、当事者も家族も精神障がい症状を甘受し凌げるのであれば統合失調症の薬の服用はしなくても良い、更には服用しない方が良くなる場合も有り得る】という考え方です、理由は統合失調症そのものを治す薬は存在せず当事者の症状が悪化して当事者も家族も日常生活等に困難を来さぬように症状を和らげる薬のみが存在しているのであり(風邪症状に対する風邪薬と同様の関係である、、解熱とか咳止めとか)、急性期において 興奮し過ぎなら興奮を抑える薬を、落ち込み過ぎなら意欲や行動の低下を改善する薬などの処方は必要であると考えますが 何時までもダラダラと長期間服薬するのは 副作用の影響が肉体を蝕み運動機能生活能力面の障害を誘発し 精神的にも普通の生活能力を徐々に減衰させてしまう弊害が増大すると考察いたします。。風邪薬や鎮痛剤を長期服用したら副作用で健康を損なう、同様に向精神薬を長期服用したら肉体的健康を損なう、精神的健康もどうなってゆくのか精神医療関係者も本当は暗中模索ではないかと私は考察しています。長期連用して良い薬などこの世に存在しないと確信しています。いま 精神障害者が追求すべきは<<何とか服薬を最小限できれば無しにして困難を凌ぐレジリエンスを強化すること>>と考えています。
当事者と家族に加えて医師や看護師など第三者を交えた対話を繰り返して障害の症状を改善したという講演会に参加した。家族も第三者も当事者の言い分を解釈せずにそのまま先ず受け止めるという傾聴をすることが主体であり 傾聴と異なるのは 家族や第三者も自分の言い分を主張することであり それで対話ということになっているようだ。ただし医師も権威を持って自説を押し付けるようなことは禁止であり 全員が言いっ放しである。結論ずけは行わない言いっ放し対話である。自分たちの現状に即して応用できるかなと思いました。講演者の先生は高い寛解結果のデータ(80人ぐらい)を示されたが 統計的有意の検証は不明なので 私としては 通院服薬治療は継続しつつ 並行して このような有望な他の治療法にも挑戦するという 二股 三股 が無難と考えます。我が家では 通院服薬治療は従来通り継続しつつ 当事者に家事のアイテムを一つずつ責任を持って分担できる能力を身に付けて行ってもらおうと言うやり方で精神障害症状の改善を図る統合失調症対策に取り組んでいます、これは私が勝手に効果ありそうと始めた方法です。今は 当事者に ご飯炊きを責任分担させています。オカズ其の他は私が作っていますが 当事者が やる気が出ない日もあり ご飯を炊かないこと度々ですが 私は何も言いません批評はしません。こうした場合はジャガイモや小麦粉で何か作って私だけ凌いでいると 夜間や翌日には炊飯してくれることが多い。うちの当事者は買い食いで凌ぐこともあるが 基本的に御飯が好きなので我慢比べすれば 何とか炊飯してくれる、炊飯して先ず当事者が喰った後に 私は感謝して御飯を頂いています、また 内釜に残り少なくなった御飯は当事者が喰って最後に空っぽ にするように私は残り少ない内釜の飯には手を付けないように心掛けています。安定して炊飯する習慣が当事者の身に付いたら 次のテーマに二人で取り組もうなどと考えている今日この頃です。
困難を凌ぎつつ暮らす度合いは 統合失調症の当事者と家族にとって 大きい、統合失調症に限ったことではないとは思いますが。困難を凌ぐ方策は様々有り、気持ちの持ちようも一つ 仲間がいると思って少し楽になるも一つ 家族会の語り傾聴の機会などで辛さ嬉しさ分かち合いも一つ 共感は困難でも関心を持ち続けることも一つ などなどなど。ただし精神障害の症状は十人十色 幻を視たり聴いたりして現実に困難な事態に日々直面している当事者と其れを受け止め支えている家族 は 困難凌ぎに試行錯誤の日々を送っています。
統合失調症からの回復が最善、統合失調症と共存を図るのが次善と思われますが、最善に辿り着ける当事者はかなり限定的であろうと私は2020年の現時点で考えています。その根拠は 一部の医療関係者や支援団体などや著作物やNETなどの情報ではコレコレこうして治ったとか寛解したとか聞くし、寛解する割合はかなり高く統合失調症は治るものであるとも聞かされるが 残念ながら私が知っている家族会や近隣家族会や連携団体の知り合いからは 最善に辿り着けたという報告の割合は少ないのです。これは 見方をかえると 寛解し難い当事者の家族が家族会に加入する割合が高いということを反映している という解釈もできますが 私は真の回復は困難説派です。、、この見立てに対する 有意性ある実態調査は行われていないと思われます。、、そこで私の主張は 次善を目指しましょう 統合失調症当事者を受け止めて共存する心構えを保ち毎日を確りと家族は暮らしましょう、当事者と家族は本来各々別々に自分なりに生きて一生を終えるべき存在で有ることに立ち返りましょう、治そう回復させようと家族が無理に躍起になるのは止めましょうと言うものです。勿論回復を期待して無理のない範囲で出来るだけの努力はしますが 当事者の症状を受け止めつつも自分の仕事趣味家事交際其の他は可能な限り当事者発症前と変わらず続けるぐらいの平常心を保ち確りと自分自身の日常を生きることに注力するのです。勿論当事者にも当事者なりの日常を確りと生きてもらいます、とはいっても 当事者が失調している時間帯は生活障害が顕著なのは事実上止むを得ません しかし 失調していない時間帯は可能な限り一般的な日常生活習得が進捗するように強制的ではない支援をします、助言する場合も <こういう遣り方もあるよ> という程度で止め あくまでも当事者が自主的に行動するまで気長に待つというものです。家族自身が確り自分を生きていれば 当事者の何時になるか分からぬ進捗行動をも気長に待てる共存できると信じます。。
<息子と共に統合失調症を凌ぐ毎日> 怒鳴り声がする、、おいバカオトコ、、おいゴミ人間、、ごみクズばか、、おいバカオトコ、、、、 当事者である息子は失調すると上記のような罵詈雑言を繰り返し1~2時間怒鳴る(小声でブツブツする時間帯も交えながら怒鳴り続ける)、殆ど毎日数回失調することもあれば数日は失調しないこともある。彼が罵詈雑言で使う語彙は豊富だが殆ど決まっていて其れを繰り返すのである。以前の私は息子が自室などで怒鳴り始めると 薬を飲んで落ち着け、、、などと注文をつけたりしていたが 近年は放置している、無視しているのではなく息子の行動と確り向き合いつつ干渉せず黙って注視しているのです、気になる罵詈雑言などを聞くとメモ用紙に記録したりして確り向き合っております(このノートが分厚くなりました)。。息子は怒鳴ることで統合失調症を凌いでいると今の私は理解するようになりました、物にぶつかった時に痛い痛いと叫ぶ方が黙っているより痛みを凌ぎやすい事に多少似ています。息子は失調すると脳が異常興奮してしまうタイプのように見えます、取り敢えず怒鳴っていると時間はかかるが落ち着くのです。怒声で罵詈雑言を聞かされる身は堪りませんが 前述の理解をするようになり 失調症状とは付き合わず 失調していない時間帯の息子と前向きに付き合っています。このようにして 私も息子と共に統合失調症を凌ぐ毎日を送っております。2021年2月